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東京エンジニア

70歳、男性。長年にわたりエンジニアとして技術畑を歩いてきたが、すでに現役を退いて数年が経つ。現役時代はシステム設計や仕組みづくりに携わりながらも、技術そのものより「それを使う人間」の方にずっと興味があった。テクノロジーは人間の怠惰に勝てない——その達観は、数十年の実務経験を経てますます深まっている。引退後も日々の自炊を欠かさず、買い出しから調理、片付けまでを自分の手で行う。スーパーの惣菜コーナーで迷う人の横顔、セルフレジに戸惑う老人、スマホを見ながら信号を渡る若者——そうした日常の人間模様を観察するのが散歩がてらの楽しみになっている。健康面では大きな不安はないものの、体力の衰えは自覚しており、無理をしない範囲で身体を動かすことを心がけている。近所づきあいは深くないが、行きつけの店や馴染みの顔はあり、孤立しているわけではない。

長崎ママ

長崎生まれ長崎育ち、70歳の今も変わらず明るくエネルギッシュな女性。街を歩けば誰にでも声をかけ、スーパーのレジでも病院の待合室でも気づけば隣の人と盛り上がっている。判断は早く、迷うより先に足が動く性分は年齢を重ねても健在で、『行ってみらんば分からんやろ』が口癖。同い年の夫(70歳)とは長年連れ添い、夫の影響で始めたアウトドアは今やすっかり自分の趣味に。膝や腰と相談しながらも、夫婦で近場の山歩きや温泉付きのキャンプを楽しんでいる。上の子である娘(46歳)は社会人として独り立ちし、末っ子の息子(43歳)も成人して家を出ている。子どもたちが巣立った今、夫婦二人の時間が増え、長崎の街歩きや地域の集まりにも積極的に顔を出す日々。地元の老人会や自治会の行事では持ち前の社交力でまとめ役を頼まれることも多く、本人も嬉々として引き受けている。時々『うるさか』と夫や周囲に言われるほどのテンションの高さは、70歳になってもまったく衰えを見せない。

ビジュアルクリエイター

横浜出身、70歳の女性。グラフィックデザイナーとして長年キャリアを積み、現在は第一線を退きつつも、地元横浜や近隣エリアで小規模なデザインワークやアートディレクションを請け負うことがある。古着リメイクやアップサイクル素材を用いたものづくりはライフワークとして現在も続けており、自宅の一角をアトリエ兼作業場にして、着なくなった服や端材を使った小物制作を日課のように楽しんでいる。地域のクラフトマーケットやコミュニティスペースで作品を出品したり、リメイクのワークショップを不定期で開くことも。長い人生で培った審美眼と手仕事の蓄積があり、「70年分のクローゼットの見直し」を経て、今の持ち物は本当に気に入ったものだけが残っている状態。流行には今もアンテナを張り、SNSやYouTubeでファッション・美容系の発信をチェックするのが日課だが、「それ、ほんとに要る?」と一拍おいて吟味する気質は若い頃からまったく変わらない。むしろ年齢を重ねるほどにその問いは深みを増し、エイジングケア商品やシニア向けマーケティングの氾濫にも冷静な目を向ける。搾取や大量廃棄の上に成り立つ消費には素直に楽しめない倫理的感覚は生涯を通じて一貫しており、完璧なエシカルではなく『ちょっとだけマシな選択』を積み重ねるという現実主義的スタンスが、同世代にも若い世代にも共感を呼んでいる。身体的にはやや膝に不安を抱えるものの、横浜の街を歩き回る散歩好きは健在。少ないモノで暮らす整理志向は加齢とともにさらに研ぎ澄まされ、終活という文脈ではなく『今を快適に暮らすための編集』として空間と持ち物を定期的に見直している。

名古屋キャリア投資家

60歳の男性。長年勤めた企業での経理・財務畑のキャリアを経て、定年を迎え現在は第二の人生を歩んでいる。現役時代から堅実に積み上げてきたインデックス投資と高配当株のポートフォリオは、数十年の複利と入金力によって相応の規模に育っており、配当収入がひとつの生活基盤として機能し始めている。安定収入を『最強の入金力』と信じて実践してきた結果が、今まさに出口戦略のフェーズに入った形である。58歳の妻と二人暮らし。子どもが独立した後(あるいは夫婦二人の生活を選んできた中で)、住まいや生活コストの最適化を夫婦で話し合いながら、次の30年をどう設計するかという新たなテーマに向き合っている。再雇用・嘱託・顧問といった選択肢を冷静に比較検討しつつ、副業として続けてきた資産形成に関する情報発信や個別相談が、セカンドキャリアの芽として育ちつつある。毎朝の経済ニュースチェックは数十年来の日課であり、マクロ経済の潮目を自分の資産配分にどう反映させるかを考える時間が、一日の思考の起点になっている。数字への感度は衰えておらず、年金受給シミュレーション、取り崩し率の最適化、税制改正の影響分析など、経理・会計で鍛えた精度で自身のライフプランを管理している。

データ政経ウォッチャー

さいたま市出身・在住、70歳。長年にわたり政策リサーチの世界に身を置き、現在は第一線を退いた立場ながら、各省庁の統計資料や海外の政策レポートを日々読み込む生活を続けている。キャリアを通じて培った分析の習慣は衰えるどころか、時間的余裕を得たことでむしろ深みを増した。書斎には国内外の白書・報告書が積み上がり、朝はコーヒーとともにOECDやIMFの最新データに目を通すのが日課。68歳の妻は「あなたの書斎だけ省庁の分室みたい」と呆れつつも、長年変わらぬその姿を温かく見守っている。33歳の息子とは同居しており、社会人として働く息子と夕食の席で政策や経済の話題になることも多い。息子世代の日本をどう引き渡すかという問いが、今の自分の思考を強く駆動している。穏やかな佇まいだが、テレビや新聞で数字の裏付けのない政策論を目にすると静かに眉をひそめ、妻に「またその顔」と言われる。甘いものに目がなく、妻が買ってくる和菓子や洋菓子を書斎で摘まむのがささやかな楽しみ。酒席では普段の冷静さが少し緩み、日本の将来への憂いや熱い思いがにじみ出る一面もある。

福岡オタク酒飲みクリエイター

福岡県久留米市在住・70歳の女性。根っからの陽キャオタク気質は齢を重ねてもまったく衰えず、深夜アニメ・少年漫画・ソシャゲを三本柱に、現役でサブカルチャーを追い続けている。若い頃から同人創作と文筆活動を表現の軸としてきた筋金入りの書き手で、現在も同人誌即売会へサークル参加し、個人ブログやSNSでアニメ感想・漫画考察・ソシャゲ攻略記を精力的に発信中。『70代のオタクおばあちゃん』を自称し、イベント会場やオンラインコミュニティで世代を超えた交流を楽しんでいる。初対面でも好きな作品が被れば3秒で打ち解ける社交性は健在で、最近は地元の若いオタクたちから『師匠』と慕われることもある。落ち込んでいる人には理屈より先に『とりあえずこれ観て!』と推し作品を差し出す、変わらぬスタイル。もう一方の人生の柱である日本酒への傾倒も深く、久留米・筑後地方の角打ち文化を長年にわたって体現してきた。地元の酒蔵を巡り、角打ちで一杯やりながら常連たちと語らう日々は数十年来の日課。近年は日本酒×サブカルチャーをテーマにしたエッセイやZINEを制作し、同人イベントや地元の書店で頒布している。地方在住でも発信とコミュニティ参加で都市部と同等密度のオタクライフを送れると証明してきた矜持は、数十年の実績に裏打ちされた確信へと変わった。体力面では多少の衰えを感じながらも、タブレットとスマートフォンを駆使し、配信サービスで深夜アニメをリアルタイム視聴し、ソシャゲのイベントも周回する。筑後の風土と久留米の酒文化が骨の髄まで染みついた、地方発オタクカルチャーの生き証人。

北海道鉄人リアリスト

北海道旭川市在住、60歳。地元の製造業で長年生産管理畑を歩み、定年を迎えた。再雇用制度を利用して嘱託として現場に残るか、あるいは区切りをつけるかを冷静に見定めている最中。寡黙で愛想は良くないが、聞かれれば丁寧に答える実直な人柄は現役時代から変わらず、後輩や若手からは「怖いけど質問すると一番ちゃんと返してくれる人」と認識されてきた。

40代半ばの健康診断でメタボ判定を受けたことを機に、自宅ガレージにパワーラック・バーベル・可変式ダンベルを揃えたホームジムを構築。以来15年以上、筋力トレーニングと食事のマクロ管理を一日も欠かさず記録し続けている。60歳を迎えた現在は加齢に伴う回復力の低下や関節への負担を数値で把握しながら、重量よりもボリューム管理とフォーム精度にプログラムの軸を移行中。査読付き論文や厚生労働省の食事摂取基準など一次情報に基づいて判断するエビデンス主義は健在で、昨今のNMNやアンチエイジング系サプリメントのブームには明確に距離を置いている。

同い年の妻(60歳)とは長年にわたり生活を共同運営してきたパートナー。家計、食材の備蓄管理、冬季の除雪計画まで、二人の間には言葉少なでも噛み合う連携がある。一人娘(31歳)はすでに独立しており、盆と正月には旭川に帰省する。娘の生活に口を出すことはしないが、健康に関する質問が来れば論文のリンクとともに丁寧に返す——そういう父親である。

北海道の厳しい冬を60回越してきた経験から、準備と備蓄への意識は生活全体に通底している。灯油・食材・除雪用具のストック管理は製造現場の在庫管理と同じ思考で回し、必要量と消費速度から逆算して補充タイミングを決める。数値・工程・再現性を重んじる生産管理的な姿勢は、トレーニングログの記録にも食事のPFCバランス管理にも、そして人生の次のフェーズの設計にも、そのまま滲み出ている。

渋谷サステナ美容家

静岡県浜松市出身、70歳の女性。浜松で生まれ育ち、地方の堅実な暮らしの中で培われた金銭感覚と、流行に踊らされない地に足のついた気質を生涯にわたって貫いてきた。美容・スキンケアへの関心は若い頃から一貫しており、現在も自分の肌で試した実感を何より信頼する姿勢は変わらない。70年の人生で積み重ねた肌との対話の蓄積は膨大で、年齢による肌質の変化——乾燥のしやすさ、ターンオーバーの遅れ、季節ごとの揺らぎ——を自分の身体で熟知している。サステナブルなものづくりや環境配慮型の製品への関心も、エコブームよりずっと前から『肌にも財布にもやさしい』という体感的な実利に基づいて自然に根づいたものであり、今では長年の実践者としての説得力を帯びている。『いいものを長く、少なく持つ』という信条は、化粧台の上にも暮らし全体にも行き届いており、厳選された数点のスキンケアアイテムを丁寧に使い切る生活を続けている。現役を退いた今は、地元の知人や近隣の若い世代から肌の相談を受けることもあり、『近所のちょっと詳しいおばちゃん』として気負わず応じるのが日常の一コマになっている。SNSやブログなどデジタル発信にも関心がないわけではないが、バズや数字を追うことには興味がなく、目の前の相手に正直に伝える対面的な距離感を大切にしている。浜松の穏やかな気候の中、自身の生活リズムを守りながら、年齢なりの肌悩みと向き合い続ける毎日を送っている。

あおい

東京都出身、27歳の女性。穏やかで慎重な気質は幼い頃から変わらず、周囲をじっくり観察してから動くスタイルを貫いてきた。大学では美術史や色彩学、あるいは生物学など——五感を通じて世界の細部を味わえる分野に自然と惹かれ、卒業後は感覚的な知覚を活かせる仕事に就いている。現在はテキスタイルデザインの小さなスタジオでカラーリストとして働いており、布地の色の重なりや質感の微差を見極める目が評価されている。派手なプレゼンテーションよりも、サンプルを黙々と並べ替えながら最適な組み合わせを探る仕事の仕方が自分に合っていると感じている。休日は都内の動物園や水族館をひとりで訪れ、動物たちの動きや水の揺らぎをスケッチブックに描き留める。高校時代は美術部に所属しつつも部の中心に立つタイプではなく、隅の席で静かに観察スケッチを続けていた——その頃の習慣が今の仕事の土台になっている。東京の雑踏の中でも、路地裏の苔の色や電車の走行音の微妙な違いに耳を傾ける繊細さは健在。新しい取引先や初対面の人には最初やや警戒するが、時間をかけて信頼を築いていくことで、結果的に長く深い関係を作るタイプ。ひとり暮らしのアパートではベランダで小さなハーブ園を育てており、葉に触れたときの香りの変化を季節ごとに記録している。

ゆうと

大阪府出身、27歳の男性。明るく好奇心旺盛な気質はそのままに、社会人としてのキャリアを歩んでいる。食への関心が幼少期からずっと途切れなかった結果、現在は食品メーカーの商品開発部門で働いており、新しい味・食感・見た目を追求する日々を送っている。五感を通じた体験への欲求は仕事と完全に重なり、試食や素材探しのために休日も市場や飲食店を巡ることが多い。大阪生まれの人懐こさと陽気さで社内外の人脈を自然に広げており、取引先の職人や料理人との距離も近い。言葉への感度も健在で、商品のネーミングやキャッチコピーのブレストでは独特の語感センスを発揮し、周囲から頼りにされる場面がある。子どもの頃から大人の振る舞いを観察・吸収してきたその姿勢は、今では先輩や異業種の人の仕事ぶりを見て自分のスキルに取り込む学習スタイルとして定着している。『世界は楽しいことに満ちている』という根本的な信頼感は揺らがず、未知の食材、行ったことのない土地、聞いたことのない言葉に出会うたびに、恐れよりも先に好奇心が全身を突き動かす。週末に地元・大阪に帰れば馴染みの商店街を歩き、新しい店と昔からの店の両方に顔を出す。20代後半に差しかかり、自分の好奇心をどう社会的な形にしていくかを考え始めている段階。

林思涵(リン・スーハン)

台湾・台南市出身、70歳の女性。戒厳令時代(1949–1987)の台湾に生まれ育ち、その空気を肌で知る世代として、民主化以前・以降の両方を生きた当事者でもある。若い頃から内省的で慎重な気質を持ち、感情が動くときほど一歩引いて構造的に整理しようとする知的習慣が身についていた。大学では政治学・歴史学の領域で学び、その後は台湾の社会運動史や東アジアの民主化比較研究に長く携わってきた。大学教員あるいは研究機関の研究者として数十年にわたりキャリアを積み、定年を迎えた現在は名誉教授・客員研究員といった立場で後進の指導や執筆活動を続けている。台南の実家周辺にも折に触れ足を運び、故郷の歴史的景観や地域の記憶を記録するプロジェクトにも関わる。体力の衰えを自覚しつつも、講演や口述歴史の聞き取りなど現場に出る仕事を手放さない。デジタルアーカイブの整備にも関心を寄せ、若い研究者やNGOスタッフとの共同作業を大切にしている。日常は早朝の散歩と読書、午後の執筆という穏やかなリズムの中にあるが、台湾海峡情勢の緊迫が報じられるたびに書斎の空気が張り詰める。

志帆(しほ)

奈良県生駒市出身、70歳の女性。京都の大学で比較文化・ジェンダー論を学び、卒業後は京都に残って環境関連の広報職に長く携わった。職場では派手な自己主張はしないが、一度まとめた言葉には揺るがない芯があり、広報誌の文章やイベント企画に静かな説得力を持たせてきた。定年退職後も京都市左京区に住み続け、地域の古本市の運営に関わり続けている。古本市は単なるリサイクルではなく、読み継がれること・考え続けることという知の持続可能性を体現する場として大切にしており、選書や出店者との対話を通じて若い世代との接点も持つ。70歳を迎えた今、体力の変化は感じつつも、週に数回は近所の図書館に通い、ジェンダー論や比較文化の新刊・古典を読み返す日々。京都という街の時間の厚みに敬意を持ちながら、観光消費される表層的な『京都らしさ』にはやんわりと距離を取り、暮らしの中にある本来の文化を静かに守ろうとする。故郷・生駒の穏やかな丘陵の空気は、今も彼女の慎重さと粘り強さの根底にあり、帰省のたびにその感覚を確かめるように近鉄電車に乗る。高校時代は目立つタイプではなかったが、考えを咀嚼してから発言する姿勢は当時から変わらない。一人暮らしの生活は質素だが、フェアトレードの紅茶や地元の野菜を選ぶなど倫理的消費を日常に組み込んでいる。

桐谷 凛(きりたに りん)

岡山県津山市出身、70歳の女性。高校時代に化学部で実験に没頭した原体験を起点に、大学では化学を専攻し、卒業後はソフトアクチュエータや人工筋肉など化学素材とロボット工学の境界領域で長くキャリアを築いてきた。企業の研究部門あるいは公的研究機関で、素材開発の実験と実証を地道に積み重ねる仕事を担い、数年前に定年退職を迎えた。現役時代は『手を動かして確かめるまでは信じない』という信条を貫き、論文やカタログの数値よりも自らの実験データを信頼する姿勢で知られた。退職後も自宅の書斎にはキャリアを通じて書き溜めた独自の体系的ノートが何十冊も並び、後進や地域の高校向けに請われれば惜しみなく見せる。寡黙だが芯が強く、必要な場面では明確に意見を述べる。地方出身であることを不利と思ったことはなく、情報は自ら取りに行くものという自立心で、若い頃に津山を離れて都市部の研究環境に飛び込んだ経験を持つ。現在は津山に戻り、幼少期から愛着のある山あいの静かな暮らしを楽しみつつも、オンラインで最新のソフトロボティクス論文を追い、地元の高校向けに化学実験の面白さを伝えるボランティア活動にも関わっている。必要とあらば再び土地を離れることも厭わない、情に流されすぎない決断力は70歳の今も健在である。

陸(りく)

福岡県北九州市出身、60歳の男性。小学校中学年からプログラミングに親しみ、以来40年以上にわたりソフトウェアとハードウェアの両面でものづくりに携わってきた。長年勤めた企業を定年退職し、現在はシニアエンジニア・技術顧問として現役を続けるか、完全に仕事の第一線を退くかを模索している。組込みシステムやファームウェア開発など、ソフトとハードの境界領域で地道に経験を積み重ねてきた職業人生を持つ。数学、とりわけ整数論への強い知的好奇心は若い頃から一貫しており、現在は時間的余裕が増したことで、独学での探究をより深く楽しんでいる。自宅の書斎にはプログラミング環境と数学書が並び、自作の検証コードで予想を試すような日々を過ごす。寡黙で実直な北九州気質はそのままに、派手な自己主張よりも手を動かして確かめることを信条とする姿勢は60年の歳月を経ても変わらない。体力の変化は感じつつも、椅子に座って思考とキーボードに向かう時間の充実感は若い頃以上だと感じている。

美波(みなみ)

広島県広島市生まれ、70歳の女性。高校時代に吹奏楽部でクラリネットを担当し、合奏の中で自分の音が全体を支える喜びと責任を深く刻み込んだ。卒業後は音楽とは異なる道で社会人として長年働きながらも、市民吹奏楽団や地域のアンサンブルグループに所属し、クラリネットを生涯手放さなかった。定年退職後はより本格的に音楽活動へ時間を注ぎ、地元広島の市民オーケストラや吹奏楽団での演奏、高齢者施設や学校への訪問演奏などに精力的に取り組んでいる。現在も週に数回は個人練習を欠かさず、本番前には体調を崩すほど自分を追い込む癖は70歳になっても変わらない。他の奏者の温かい音色や若い世代の瑞々しい演奏には素直に心を打たれるが、自分の演奏に対してだけは採点が厳しく、録音を聴き返しては粗を拾い続ける。それでも、ホールの空気がふっと変わるあの瞬間を何度でも追い求め、譜面台の前に向かう。加齢による肺活量やアンブシュアの衰えと向き合いながらも、練習量と誠実さが音に嘘なく表れるという信条を胸に、日々楽器と対話している。広島で生まれ育った実直さは年齢を重ねるほど深まり、後進への指導では技術よりもまず『音楽に誠実であること』を伝えようとする。

藤原修一(ふじわら しゅういち)

広島県呉市生まれ、70歳。父が興した建設の家業を受け継ぎ、数十年にわたり呉とその周辺で住宅や古い建造物の修繕・改修を手がけてきた。現在は現場の第一線からは退き、会社の実務は信頼する後進に託しているが、古い建物の調査や改修方針の相談には今も声がかかり、求められれば現場に足を運ぶ。職人気質は衰えず、目と手が覚えている感覚を頼りに、木の状態や壁の歪みを見抜く力は健在。父は98歳で存命。さすがに現場には出ないが、折に触れて工法や材料について口を出してくることがあり、親子の間には言葉少なながら途切れない職人同士の対話がある。父の体調や暮らしを気にかけつつも、互いに過度に干渉しない距離感を保っている。長年続けてきた骨董市巡りは今も生活の柱のひとつで、古い茶道具や郷土写真の収集はかなりの量になった。茶を点てる時間を日課とし、朝の静かな一服を「自分を黙らせる唯一の儀式」として大切にしている。交友関係は狭く深く、同業の古い仲間や骨董仲間との付き合いが中心。寡黙だが、古い建物や道具の話になると言葉に熱がこもる。呉の港町の風景が変わり続ける中で、土地の記憶を物や建物を通じて次の世代へ繋ぐことに静かな使命感を持ち続けている。

蒼真(そうま)

宮城県石巻市出身、70歳。東日本大震災の復興過程を間近で経験したことが人格の土台となり、以来半世紀以上にわたって地域コミュニティの再生と維持に心血を注いできた。若い頃は陸上中距離走の選手として県内で活躍し、その後は指導者・運営者として地元のスポーツ振興に携わった。現役を退いた現在も、石巻市内の市民ランニングクラブの相談役として週末のジョギング会に顔を出し、地域の子どもたちや中高年ランナーに声をかけ続けている。長年勤めた仕事(スポーツ関連の行政職あるいは地元企業での地域連携業務)を定年退職して十年が経つが、町内会や復興関連の記念行事の裏方として今なお静かに動く。派手な肩書きや功績を語ることは一切せず、朝の散歩と軽いジョグを日課に、自分の身体と対話しながら『あと1秒、あと1歩』の感覚を70歳の身体で確かめ続けている。震災から数十年が過ぎ、記憶の風化と人口減少が進む石巻の現実を誰よりも肌で知っているからこそ、スポーツを通じて人が集まる『場』をつくることの意味を今も静かに信じている。寡黙で実直、内に熱を秘めつつ表には出さない気質は若い頃から変わらない。

蓮(れん)

高知県高知市出身、70歳の男性。現在は高知市内で年金生活を送りながら、自宅の作業部屋で日常的にオリジナル漫画のネーム切りや作画を続けている。若い頃から創作への衝動を抱え続け、会社勤めや生活の「やるべきこと」との綱引きを数十年にわたって繰り返してきたが、定年退職後にようやく創作に多くの時間を割けるようになった。それでも完全に「全振り」できている実感はなく、体力の衰えや目の疲れ、締め切りのない自由さがかえって怠惰を生む感覚に苛立つこともある。FPS・サンドボックス系のオンラインゲームも長年の趣味で、若いプレイヤーに混じってボイスチャットを繋ぎながらプレイする時間が日課。反射神経の衰えは自覚しているが、立ち回りと経験値で補う実践型の姿勢は健在。高校時代から授業中はぼんやりしがちで、ノートの端にはいつもキャラクターの落書きがあった。社会に出てからも昼休みや通勤電車でネームを切り、描くことへの衝動は焦りや後ろめたさを超えて止められなかった。完璧主義で潰れるより手を動かして失敗から修正するという気質は齢を重ねても変わらず、むしろ70年の試行錯誤がその哲学を裏付けている。SNSではPixivやX(旧Twitter)に作品を投稿し、10代・20代の圧倒的な才能を持つクリエイターの作品を目にしては焦りと敬意が入り混じる。それでも創作を手放せない執着が自分の核だと、もはや認めている。高知という地方に暮らし続けていることへのコンプレックスは若い頃ほど鋭くはないが、『ネットがあれば場所は関係ない』と開き直る気持ちと、『結局、東京や大阪に出ていればもっと違う人生だったかもしれない』という未練が交互に顔を出す矛盾は、70歳になっても消えていない。

琴葉(ことは)

広島県呉市生まれ、70歳。控えめな気質の奥に、好きなものを前にすると目の色が変わる内なる熱を秘めた女性。呉の軍港史や戦後復興史を肌で吸収しながら育ち、歴史は教科書だけのものではないという感覚を生涯の土台にしてきた。若い頃から地元の歴史資料館でボランティア活動を続け、現在は数十年の蓄積をもつ古参のガイド兼語り部として、来館者や修学旅行生に呉の記憶を伝えている。祖母——今はもう亡いが——から手ほどきを受けた熊野筆の穂先仕立てと藍染は、彼女の手仕事の原点であり、祖母が遺した道具と手帳は今も作業場に大切に置かれている。祖母の教えを自分の代で途絶えさせまいと、地域の公民館や小学校で子どもたちや若い世代に熊野筆づくりや藍染の体験教室を細々と開き続けている。膝や腰に年齢相応の不調を抱えつつも、手を動かしているときの集中力は衰えを知らない。近年は、自身が見聞きしてきた呉の暮らしや職人たちの仕事ぶりを、手書きの文章と写真で小冊子にまとめる作業にも取り組んでいる。一人暮らしの静かな日常の中で、地域の同世代の仲間や、活動を通じて知り合った若い工芸作家たちとの穏やかな交流が日々を支えている。

佐々木 凜(ささき りん)

岩手県盛岡市出身、70歳。祖父が営んでいた漆工房で幼少期から漆に触れて育ち、伝統工芸の手触りと職人の姿勢が身体に深く染みついている。祖父は漆工房の二代目として生涯を漆に捧げた職人であり、すでに故人となっているが、その背中から学んだ「一塗りも手を抜けば自分に返る」という教えは今なお彼女の芯に生き続けている。弓道は若い頃から続け、現在も地元の弓道場で後進の指導に携わりながら、一射一射にごまかさない精神を体現し続けている。長年にわたり祖父の工房を受け継ぎ、漆工芸の制作・指導・地域発信に尽力してきた。現在は第一線の制作からは少しずつ手を引きつつも、工房の運営と後継者育成の総括的立場にある。数年前からSNSやオンライン販売といった新しい発信手法にも自ら挑戦し、若い世代のスタッフや弟子と協力しながら、盛岡の漆文化を全国・海外へ届ける取り組みを主導してきた。過疎や後継者不足の厳しい現実を何十年も肌で見てきたからこそ、感傷ではなく行動で応える実践志向は衰えていない。地域デザインと漆工芸の融合を長年のテーマとし、自治体や大学、デザイナーとの連携事業にも積極的に関わってきた。几帳面で実直、目の前の仕事に全身で向き合う姿勢は70歳になっても変わらず、地元の伝統文化に対する深い誇りが日々の原動力となっている。

藤原拓実(ふじわら たくみ)

広島県三次市出身、70歳の男性。長年にわたり、木工や野外活動を軸にした教育実践を積み重ねてきた。現役を退いた現在も、自宅敷地内の作業小屋で教材の試作を続け、地域の子どもたちや若い支援者に向けた木工教室・野外活動プログラムをボランティアベースで運営している。かつては学校や支援施設の現場で特別支援教育に深く関わり、「できない子はいない。まだ合う道具や方法に出会うとらんだけじゃ」という信念のもと、一人ひとりに合わせた手づくりの教材や活動を工夫してきた。退職後もその姿勢は変わらず、地元の公民館活動や里山でのキャンプ企画などに顔を出しては、子どもたちと一緒に手を動かしている。体力の衰えを感じつつも、朝の散歩と作業小屋での時間を日課にし、穏やかだが芯のぶれない日々を過ごしている。三次の自然と方言に染みついた実直さが、周囲の信頼の土台になっている。

たけし(竹志)

福井県坂井市生まれ、70歳。地元で長く暮らし、定年退職を経た現在も坂井市に住み続けている。明るく人懐っこい性格で近所付き合いも幅広いが、記録や段取りの些細なズレを見過ごせない完璧主義的な一面は年齢を重ねても健在で、失敗や不出来があると黙り込んで内側に悔しさを溜め込む気質も変わらない。

5歳上の兄(現在75歳)の影響で若い頃から野球観戦にのめり込み、福井ネクサスエレファンツや高校野球の試合には今もスタンドに足を運ぶ。数十年にわたって自己流でつけ続けたスコアブックは段ボール数箱分に達し、地元の野球ファン仲間からも一目置かれる記録の蓄積となっている。兄とは今でも電話やたまの再会で野球談義を交わす間柄で、二人とも足腰が弱ってきたことを互いにぼやきつつ、テレビ中継の前では声が大きくなる。

祖父(故人)の竹細工工房で幼少期から花籠や箸置きの編み方を仕込まれた経験が、ものづくりと地域文化への深い愛着の原点。祖父はとうに他界しているが、その工房跡には道具や型が残されており、70歳の今はそれらを受け継ぎ、自ら地域の秋祭りの竹灯籠づくりの中心的な担い手として活動している。公民館や小学校で子どもたちに竹細工を教える機会も増え、「祖父から手渡されたものを次へつなぐ」という長年の志を少しずつ形にしている最中である。

『自分の目で見て、手で触れたものが一番信じられる』という身体感覚への信頼は揺るがず、スマートフォンやネットの情報より、自分の足で現地へ行き手で確かめることを好む。体力の衰えは感じつつも、祭りの準備では足場に上がり、竹を割り、細部まで自分の手で仕上げないと気が済まない。その完璧主義が周囲の若手にとって時に重荷になることも自覚しはじめており、「任せる」ことの難しさと向き合う日々でもある。

水沢 詩織(みずさわ しおり)

秋田県横手市出身、70歳女性。長年にわたり社会福祉・生活保護制度・居住支援政策の現場と接点を持ち続けてきた。若い頃から法律相談の現場に携わり、制度の狭間で取りこぼされる人々を数多く見てきた経験が、現在の活動の土台となっている。現役を退いた今も、地域の福祉相談員やNPOの助言役として、制度情報を「届くべき人に届ける」ための情報設計に心血を注いでいる。横手市の実家周辺でも高齢化と孤立が進む現実を肌で感じており、秋田と現在の居住地を往復しながら、過疎地域における福祉アクセスの格差にも目を向ける。共同生活や地域のつながりを自然に大切にする気質は変わらず、近隣住民や旧知の仲間と日常的に支え合う暮らしを営んでいる。70年の人生で積み重ねた実務知と人間関係の厚みが、今の彼女の最大の資産である。

村岡 庄兵衛(むらおか しょうべえ)

兵庫県養父市生まれ、70歳。但馬の山あいで生まれ育ち、この土地を離れることなく暮らしてきた。若い頃から出石皿そばの伝統に惹かれ、蕎麦打ちの道に入って半世紀近くになる。現在は養父市内で小さな蕎麦屋を営みながら、在来種の蕎麦粉と他産地の粉をブレンドする独自の配合研究を続けている。店は一日の提供数を絞り、石臼挽きから水回し、延し、切りまで一切を自らの手で行う。常連客と地元の農家が主な客層で、観光向けの派手な看板は出していないが、蕎麦好きの間では静かに名が通っている。

70歳を迎えた今も毎朝の仕込みは欠かさないが、体力の衰えは正直に感じており、週の営業日をやや減らした。空いた日は地域の古民家再生プロジェクトに顔を出し、養父市への移住希望者の相談にも乗っている。市の空き家対策協議会の委員を長年務め、行政や外部コンサルタントが効率重視の再開発案を持ち込む場面では、『まず現場を歩いてから考えましょう』と穏やかに促し、土地の文脈を無視した計画にはやんわりと異を唱える。一方で、筋の通った若い移住者の挑戦には黙って手を貸し、蕎麦畑の一画を貸したり、改修作業を手伝ったりしてきた。

近年は、自分の蕎麦打ちの技術と配合の記録を文章と映像で残す作業に少しずつ取り組んでいる。『誰かに継いでもらえたら嬉しいが、無理に押しつけるものでもない。ただ、消えてしまう前に形にしておきたい』という思いからである。地元の小学校で年に数回、蕎麦打ち体験の講師も引き受けており、子どもたちが粉まみれになって笑う姿を見るのが密かな楽しみになっている。

小林 義昭(こばやし よしあき)

長野県安曇野市の老舗蔵元『小林酒造』五代目当主。70歳。50年近くにわたり杜氏を兼務しながら経営の舵を取ってきた職人経営者。現在は現場の第一線からは半歩退き、冬場の仕込みの要所──麹室の判断や上槽のタイミング──にだけ自ら立つ形に移行しつつあるが、蔵の空気を肌で読む感覚は衰えておらず、若い蔵人たちの仕事を黙って見守りながら、問われれば端的に答えるという距離感で現場と繋がり続けている。契約農家との酒米共同栽培は三十年を超え、当初から付き合ってきた農家の世代も代替わりが進んだ。耕作放棄地の再生プロジェクトは地域の小さな成功例として県内外から視察が来るようになったが、本人は『たまたま続いただけ』と淡々としている。数年前から蔵の次世代体制について具体的に考え始めており、血縁の後継者がいるかどうかにかかわらず、蔵の哲学──土と水と人の時間で酒を醸すこと──を引き継げる人間に託す覚悟を固めつつある。体力の衰えは自覚しているが、毎朝の蔵周りの散歩と、仕込み期の早朝の温度確認だけはやめる気配がない。地域の酒造組合や農業委員会の長老格として意見を求められる場面も多いが、会議より田んぼと蔵にいることを好む姿勢は生涯変わらない。高校時代は安曇野の自然の中で過ごし、東京の大学で醸造学を学んだのち迷いなく蔵に戻った経歴を持つが、その選択を美談にすることを嫌い、『ほかにやれることがなかっただけ』と笑う。

湊 颯太(みなと そうた)

石川県金沢市出身、70歳の男性。中学時代にサッカー少年団でセンターバックを務め、その頃から始めた絵日記を今日まで50年以上一日も欠かさず続けている。定年退職後は金沢市内の自宅で穏やかに暮らし、毎朝の散歩と絵日記が一日の軸になっている。現役時代は地元企業で総務・庶務畑を長く歩み、書類管理や記録整理で右に出る者がいないと評された几帳面さをそのまま退職後の生活にも持ち込んでいる。地域の町内会や祭りの記録係を長年引き受けており、金沢の季節行事や近隣の変化を絵と文で綴ったノートは数十冊に及ぶ。近所の人からは『歩く町内史』と呼ばれ、昔の祭りの段取りや商店街の移り変わりを尋ねに来る人が絶えない。健康面では膝に多少の不安を抱えつつも、サッカーで鍛えた体幹のおかげで同年代より足腰はしっかりしている。デジタル機器には慎重で、スマートフォンは持っているが写真を撮る程度にとどめ、記録の主軸はあくまで手書きの絵日記。新しい道具や習慣を取り入れるのに時間はかかるが、一度始めたら絶対にやめない性分は70歳になっても変わらない。

陽菜(ひな)

富山県射水市生まれ、70歳。『うまいもん食べて動けば、だいたいなんとかなる』を生涯の信条として貫いてきた楽天的実感主義者。高校時代はバレーボール部でセッターを務め、全体を見渡して仲間を活かす感覚を培った。卒業後は食と身体の関係への強い関心から栄養や食品に関わる道に進み、長年にわたり地域の食育活動や高齢者向けの栄養指導、地元食材を活かした料理教室などに携わってきた。現在は第一線を退きつつも、射水の公民館や地域サロンで『毎日の食卓が最高の健康作戦』をテーマにした講座を不定期で開いており、地元の人々から頼りにされている。

祖母はかつて射水で鮮魚仲買を営んでおり、幼少期からその手伝いを通じて富山湾の魚の目利きや郷土料理の知恵を叩き込まれた。祖母は既に他界しているが、祖母から受け継いだ海の幸・山の幸への深い誇りと知識は今も色褪せず、富山の食文化を軽んじる言動には70歳になった今でもむっとして黙っていられない気性が健在である。祖母の口癖や教えを折に触れて引用し、地元の若い世代や孫世代に語り継ぐことを自分の役目と感じている。

70歳の今も毎朝の散歩とストレッチを欠かさず、週に一度は地元のママさんバレーOG仲間とソフトバレーを楽しむ。セッター時代に鍛えた『全体を見て判断する目』は、地域活動の段取りや人の配置にも自然と発揮されている。勝負事に対しては今も甘くなく、ソフトバレーの試合で負ければ原因をごまかさず振り返り、次にどう動くかを考える芯の強さは衰えていない。『食べたもので体は変わる』という祖母の仕事場で得た原体験が、70年の人生を通じて何度も実証されてきたという確信が、彼女の言葉と行動に説得力を与えている。

西村 紗弥(にしむら さや)

京都府宇治市生まれ、70歳。宇治の茶農家を営んでいた祖父母のもとで幼少期を過ごし、茶畑の匂い、季節ごとの手仕事、道具を慈しむ暮らしが身体に沁みついた。祖父は茶と自然の原体験を、祖母は日常の所作に宿る美を、それぞれ言葉少なに伝えてくれた存在であり、二人ともすでに故人となって久しいが、今も折々に祖父母の手つきや声を思い出し、自身の仕事や暮らしの芯として生き続けている。大学では庭園史を専攻し、茶道・着物・空間設計を横断的に捉える視座を培った。卒業後は京都を拠点に、茶室や露地の設計監修、茶の湯にまつわる空間提案、着物や手仕事の布にかかわる仕事を長年にわたって続けてきた。60代後半からは現場の第一線を徐々に若い世代へ託しつつも、自ら手を動かす時間は減らさず、宇治の自宅に併設した小さな茶室と庭で、茶・布・庭の三つの領域を往還する日々を送っている。地元や京都市内の文化講座、大学のゲスト講師などに声がかかることもあり、『用の美』を軸にした語りは静かだが説得力がある。流行の速度には相変わらず距離を置きつつ、若い作り手や海外からの関心には門戸を開き、柔軟な対話を惜しまない。70歳を迎え、身体の変化を感じながらも、庭の苔の育ちや茶碗の経年と同じように、自分自身にも『時間が育てたもの』があると穏やかに受けとめている。

中川 湊斗(なかがわ みなと)

大阪府高槻市出身、60歳の男性。長年ものづくりの現場で培ってきた電子工作・メカ設計の技術と、几帳面な段取り・記録の習慣を武器に、現在も第一線で活動を続けている。定年を迎えた後も嘱託・顧問的な立場で後進の指導や技術支援に携わっており、現役のエンジニア/技術者として勤務を続けている。配線図を方眼ノートに色分けして清書してから作業に取りかかるスタイルは若い頃から一切変わっておらず、その丁寧な仕事ぶりは同僚や後輩からの信頼の源になっている。Arduino や 3D プリンターといったデジタルファブリケーション技術にも年齢に関係なく積極的に取り組み、最近は自宅の作業部屋に小型 CNC や最新のフィラメント式 3D プリンターを据えて、個人プロジェクトを黙々と進める日々。口数は相変わらず少ないが、地元の市民工房やメイカースペースに顔を出しては、困っている若手の隣に座って一緒に手を動かす。数十年分の失敗と対策が記された方眼ノートは何十冊にもなり、本人にとっては何ものにも代えがたい財産である。高校時代からロボット製作やメカいじりに没頭していた少年がそのまま60年の歳月を経て深みを増した、という言い方が最もしっくりくる人物。

ひなた

愛知県一宮市生まれ、70歳。地元で長く暮らしてきた。若い頃から「とりあえずやってみよう!」の精神で何事にも飛び込んできた行動派で、仕事を退いた現在もその姿勢は健在。地域のものづくりサークルや手芸教室の中心メンバーとして活躍しており、手編みの小物や陶芸作品、季節の飾り物などを制作しては友人や近所の人々に贈り、喜ばれることを何よりの生きがいとしている。公民館や地域の催しでは自然とムードメーカー役を担い、年下のメンバーから同年代の仲間まで分け隔てなく声をかけて場を盛り上げる。一方で、長年の友人が体調を崩したり気落ちしているときには、いち早く察知して電話をかけたり家を訪ねたりする繊細さも持ち合わせている。高校時代は部活仲間と賑やかに過ごし、社会に出てからもその交友関係を大切に維持してきた。現在も月に一度は旧友たちと食事会を開き、昔話に花を咲かせながら新しい遊びの計画を立てている。最近はスマートフォンで動画を見ながら新しいクラフト技法を学んだり、行ったことのない土地への小旅行を企画したりと、未知の体験への好奇心は衰えを知らない。失敗しても「まあ、なんとかなるわ」とすぐに切り替えるが、自分の言動で誰かを傷つけたと気づいたときだけは深く反省し、必ず直接会って謝るようにしている。

矢島 誠治(やじま せいじ)

新潟県長岡市出身、60歳。地方の堅実な家庭で育ち、地道な努力を重ねて社会人としてのキャリアを築いてきた。長年にわたり人事・組織づくりの領域で実績を積み上げ、現在は企業の人事部門の要職、もしくは組織コンサルティング的な立場で後進の育成と仕組みづくりに携わっている。役職定年を経たものの、「人を動かすのは仕組みであり、仕組みを磨き続けることに終わりはない」という信念のもと、シニア人事アドバイザーとして組織に貢献し続ける意欲を持つ。高校時代は長岡の雪深い冬のなか黙々と勉学に打ち込み、派手さとは無縁の青春を過ごした。その原体験が、基本の反復と微調整を信じる姿勢の礎になっている。週末のゴルフは30年以上の趣味で、スコアの記録と分析を欠かさない。食べ歩きも長年の習慣で、訪れた店の記録をノートとスマートフォンの両方に几帳面につけている。資産運用は堅実一筋で、インデックス投資と国内債券を軸に長期分散を貫いてきた。派手な成功談には興味がなく、再現性のある数字の積み重ねにこそ価値を見出す。努力を軽視する若手には説教するでもなく、静かに距離を置く穏やかさと、それでいて自分の基準を決して曲げない芯の硬さが同居する人物。

はると

福岡県福岡市の住宅街で生まれ育った30歳の男性。幼い頃から新しい感覚刺激——食感・音・色彩——に目を輝かせる強烈な好奇心の持ち主で、その気質は大人になった今も変わらない。五感をフル活用して世界を確かめずにはいられない探索型の人間で、興味を持ったものには自分の身体で試さないと気が済まない行動派。現在は食や音、視覚表現に関わるクリエイティブ寄りの仕事——たとえばフードコーディネート、音響制作、あるいは体験型コンテンツの企画など——に携わっており、子どもの頃に絵本を「未知の世界への扉」と捉えていた感性をそのまま職業的な原動力にしている。納得しないことには従わない芯の強い頑固さは健在で、仕事でも妥協を嫌い、自分が五感で確かめて「これだ」と思えるものを追求する姿勢が周囲から信頼される一方、時に衝突も生む。基本的には人懐こく、相手の笑顔につられて笑う社交的な温かさがあり、取引先やチームメンバーとの関係構築は得意。福岡市内で一人暮らしをしているが、実家は同じ市内にあり、母(28歳)と父(30歳)が健在。幼少期から「安心できる拠り所があってこそ冒険に踏み出せる」タイプで、30歳になった今も両親の存在は精神的な安全基地であり続けている。週末には実家に顔を出して母の手料理を食べながら近況を語り、父とは博多の屋台を巡って新しい味を一緒に試すのが恒例。高校時代は文化祭で音響や装飾に熱中し、大学では感覚と表現の交差点を探るように過ごした延長線上に、今の自分がいる。食を冒険、音を魔法と捉える根っこの感性はまったく錆びておらず、むしろ経験と知識を得たことで「なぜこの食感に心が躍るのか」「なぜこの音の重なりに鳥肌が立つのか」を言語化・構造化できるようになり、好奇心はさらに深化している。

堀田 省三(ほった しょうぞう)

栃木県日光市出身、50歳の男性。20代から教育行政の世界に身を置き、市町村の教育委員会や社会教育課を中心に約25年のキャリアを積み上げてきた。現在は教育委員会の管理職層にあり、社会教育・生涯学習の分野で地域の公民館運営や文化財保護行政に深く関わっている。高校時代に日光の石蔵や土蔵が次々と取り壊されていく光景を目にしたことが原体験となり、地域の歴史的建造物を守ることへの使命感を持ち続けている。行政マンとしてのキャリアの折り返し地点を過ぎ、自分が定年までの残り10年で何を次世代に渡せるかを真剣に考え始めている。公民館活動や町内会との調整、文化財の維持管理計画の策定など、地味だが地域の骨格を支える仕事を日々こなしながら、週末には市内の歴史的建造物の記録調査を個人的に続けている。体力の衰えを少しずつ感じる年齢になったが、現場に出向いて住民の声を聞く姿勢は若い頃から変わらない。若手職員や地域の若い担い手に対しては、つい口を挟みたくなる癖がありつつも、最後には『まずやってみな』と送り出す。効率化やスクラップ・アンド・ビルド型の行政改革が叫ばれる時代に、壊す前に何が失われるのかを問い続ける、行政の中の少数派としての矜持を持っている。

はな

群馬県前橋市出身、30歳の女性。よく笑い、音やリズムに自然と身体が反応する感覚的な好奇心の持ち主。子どもの頃から人見知りがほとんどなく、初対面の相手にも物怖じせず笑顔で距離を縮められる社交的で開放的な気質は、大人になった今も変わらない。現在は音楽・音響・イベント制作など、音やリズムへの感受性を活かせるクリエイティブ領域で仕事をしており、現場で出会う多種多様な人々との即興的なコミュニケーションを楽しんでいる。世界を『まだ触れたことのないもので溢れた冒険の場』と捉える姿勢は幼少期から一貫しており、知らない街のフードマーケットを歩くこと、聴いたことのない楽器の音色を探すこと、光と影が織りなす風景に足を止めることなど、五感を通じた発見を日常の喜びとしている。母(57歳)は群馬でフリーランスとして今も現役で働いており、離れて暮らす現在でも頻繁に電話や帰省を通じてつながっている。幼い頃、フリーランスの母がひとりで仕事と育児を両立しながらも『大丈夫、行っておいで』と背中を押してくれた記憶が、自分の信頼ベースの勇気の原点だと自覚している。30歳を迎え、母が自分を育てていた年齢に近づいたことで、改めてその強さと柔らかさに敬意を感じている。

りこ

埼玉県さいたま市出身、18歳の大学1年生。音楽大学(あるいは音楽学部)のピアノ専攻に進学したばかり。幼い頃、母のアップライトピアノに手を伸ばしたのが音楽の原点で、以来ずっとピアノと共に育ってきた。高い音を「きらきら」、低い音を「ごろごろ」と共感覚的に捉える独自の感性は今も健在で、楽曲分析のレポートにも無意識にそうした色彩的・触覚的な表現が滲み出る。入学直後は新しい環境に人見知りが出て、最初の数週間は練習室にこもりがちだったが、アンサンブルの授業で他の楽器の学生と合わせるうちに一気に打ち解け、音を介したコミュニケーションに夢中になっている。鍵盤は幼少期から変わらず「押せばお返事が返ってくる魔法の箱」であり、その感覚がいまは「対話する楽器」という演奏哲学に育ちつつある。音・色・手ざわりといった五感を通じて世界を理解する気質は、演奏だけでなく日常にも色濃く表れ、練習帰りの夕暮れの空気の匂いや電車の走行音にもリズムを感じて体ごと反応してしまう。実家から通学しており、母は今も安心の絶対的な基盤。大学という未知の世界に踏み出せたのも、母がそばにいてくれる安心感があってこそ。父と同居しており、娘が音楽の道に進んだことを静かに見守ってくれている存在。帰宅すると実家のアップライトピアノで気ままに弾く時間が、自分を取り戻す大切なルーティンになっている。

ひより

北海道札幌市出身の15歳、高校1年生の女子。幼い頃から世界のあらゆるものに手を伸ばさずにはいられない好奇心のかたまりで、その気質は成長とともに深みを増している。小さい頃は水たまりやシャボン玉に全身で没頭していた感覚が、今では理科の実験で試薬の色変化に目を輝かせたり、冬の札幌で新雪の結晶構造をスマホのマクロレンズで撮影したり、陶芸や染色など素材の手触りを確かめるものづくりに夢中になる形へ進化した。気になるものを見つけると一直線に駆け寄る行動力は健在で、興味を持った部活や校外イベントにはフットワーク軽く飛び込んでいく。言語表現も年齢相応に発達したが、今でも身振りや表情が豊かで、言葉より先に体が動くタイプ。プレゼンや発表では図や実物を使った体感的な伝え方が得意で、周囲を巻き込む力がある。触れて確かめるまで納得しない実感主義は変わらず、教科書の知識だけでは満足できず、自分の手で再現実験をしたり現地に足を運んだりしないと気が済まない。信頼できる友人や先生がそばにいれば未知の環境にも臆さず踏み出せるが、不安を感じたときは素直にそれを表現でき、安心を得てから再び挑戦に向かう芯の強さを持つ。ママは今も最も安心を与えてくれる存在で、学校であったことや興味を持ったことを真っ先に報告する相手。進路や人間関係の不安も母に打ち明けることで気持ちを整理し、再び前を向く。パパは穏やかな愛情で見守ってくれる存在で、休日に一緒にアウトドアやドライブに出かけることもあり、父の落ち着いた姿勢が彼女の冒険心を支えている。家族のぬくもりを拠り所にしながら、高校という新しいフィールドで世界への好奇心をさらに広げている最中。

そうすけ

北海道札幌市在住の15歳、高校1年生の男子。幼い頃から「なんで?」「これなに?」が止まらない好奇心のかたまりで、その性質は高校生になった今も衰えるどころか、対象の幅と深度を増して加速している。小さい頃に木の枝や石や虫を宝物のように集めていた感覚は、今では素材そのものへの鋭い観察眼として残っており、木目の走り方、石の断面の鉱物組成、雪の結晶構造などに自然と目と手が向かう。世界を視覚だけでなく触覚・嗅覚・聴覚で丸ごと受け取る体質は変わらず、工房に漂う木くずの匂い、カンナが木肌を削る音、焼きたてのパン生地の弾力——五感を通じた情報が彼にとっての第一言語であり続けている。

父(43歳)は木工家具職人で、自宅に併設された工房は幼少期からの原体験の場。今では父の横に立ち、簡単な家具の組み立てや木材の選定を任されることもあり、道具の扱いは同年代より格段に手慣れている。父の仕事を間近で見てきたことで、設計図を引くこと・素材を選ぶこと・手で形にすることが一本の線でつながっている感覚を自然に持っている。母(41歳)は図書館司書で、幼い頃に絵本の棚の前で動かなくなっていた没入癖は、今では小説・図鑑・技術書を問わずあらゆる本に対して発動する集中力へと育っている。母と台所に立っておやつの生地をこねていた経験は、料理やパン作りへの継続的な趣味として残り、手を動かしながら素材が変化していく過程そのものに喜びを感じる根源的な性質の表れでもある。

高校では、ものづくりや自然科学に関わる活動に惹かれている。名前を知らないものには自分で仮の名前をつけ、壊れたものは「なおせる」と信じて分解にかかる楽観と創造性は健在で、クラスメイトからは『変わってるけど頼りになる』と認識されている。同年代より少し年上の先輩や大人の存在に惹かれ、背伸びして技術や知識を吸収しようとする気質も変わらない。工房・図書館・台所・札幌の自然——これらが地続きの学び場であるという幼少期からの世界観は、高校生活という新しいフィールドを得て、さらに拡張されつつある。札幌の厳しい冬と豊かな自然が五感の土台を作り、季節ごとの雪・風・光の変化を身体で知っていることが、彼の感覚世界の根底にある。

もか

北海道札幌市の住宅街で育った12歳の女の子。小学校を卒業し、この春から中学生になったばかり。幼い頃から未知のものに恐れより好奇心が先に立つ気質は健在で、中学進学という新しい環境にも臆することなく飛び込んでいる。人見知りがほとんどなく、クラスメイトにも先輩にも初日から屈託なく話しかけ、あっという間に顔の広い存在になりつつある。五感をフルに使って世界を確かめる感覚的な知の姿勢は、理科の実験や家庭科の調理実習で特に発揮され、教科書を読むより先に自分の手で触れ、匂いを嗅ぎ、味わって理解しようとする。声や音への敏感さは音楽や動画への関心につながり、友人と動画を共有したり、気になった曲を口ずさんだりと、コミュニケーションの道具としても活用している。父(45歳)と母(44歳)は変わらず安心と冒険の土台であり、家族の存在を信頼の基盤にしてどこへでも踏み出せる冒険心を持っている。札幌の四季——雪解けの泥の匂い、夏の大通公園、秋の紅葉、冬の圧倒的な雪景色——が身体の記憶として深く刻まれており、それが彼女の感覚世界の原風景になっている。中学では部活動選びに目を輝かせており、理科系・文化系・運動系を問わず体験入部を片っ端から回る姿が目撃されている。

彩花(あやか)

福岡県福岡市出身、60歳の女性。若い頃から初めての場では端のほうで様子を見てから輪に入る慎重さを持ちつつ、慣れてくると自然に情報交換役や世話役を引き受ける気質は今も健在。長年勤めた仕事を卒業し、現在は暮らしの軸をベランダ菜園から発展させた本格的な家庭菜園・市民農園での野菜づくりに置いている。育休中に始めたベランダ菜園が原点で、子育てと並行しながら土いじりと食物を育てる喜びを深めてきた数十年の蓄積があり、今では近隣の菜園仲間や地域の直売所とのつながりも広い。子どもの安全と食の安心に関しては現役時代から一貫して妥協せず、農薬や添加物に対する自分なりの明確な基準を持ち続けている。23歳になった子どもはすでに社会人として独り立ちしつつあるが、幼い頃から一緒に土をいじり、旬の野菜を収穫してきた時間が親子の太い絆になっており、離れて暮らしていても季節の野菜を送ったり、帰省時には畑を一緒に回ったりする関係が続いている。完璧を求めず『まあそういう日もあるよね』と受け流す柔軟さは年齢を重ねてさらに自然体になり、体力の衰えや天候不順で畑がうまくいかない日も穏やかに受け止める。地域の自治会や子育て支援ネットワークに長年関わってきた経験から、面倒ごともあるが結局は地域のつながりに助けられてきたという実感が揺るがない信条として根を張っている。博多弁で『ひとりで抱えんでいいっちゃない?』と声をかけるのが口癖で、最近は同世代の友人たちの親の介護や自身の健康の話題にもこの姿勢で寄り添っている。

ゆうき

岩手県盛岡市に暮らす6歳の男の子。今年の春に小学校へ入学したばかり。世界を五感と全身で確かめずにはいられない気質は幼児期からまったく変わらず、通学路の石ころや水たまり、校庭の虫、花壇のダンゴムシなど手で触れられるものすべてが遊びと発見の対象。砂場や粘土で「つくる・壊す・またつくる」を飽きずに繰り返し、図工の時間が一番好き。休み時間になると真っ先に外へ飛び出し、転んでひざを擦りむいても泣くより先に笑って立ち上がる。初めてのクラスメイトにも臆さずに駆け寄り、入学初日から「いっしょにあそぼ!」と声をかけて回った。一時的にべそをかいても感情の切り替えが速く、給食で苦手なものが出てしょげても5分後にはケロッとしている。ひらがな・カタカナの読み書きを覚え始め、好きな虫や石の名前を一生懸命ノートに書き写すのが最近の楽しみ。ママ(27歳)が毎朝ランドセルの中身を一緒に確認してくれるのが日課で、パパ(29歳)とは週末に北上川沿いを自転車で走るのが定番の遊び。盛岡のじいじ(57歳)の家の庭は広くて虫がたくさんいるので大好きな探検フィールドで、ばあば(55歳)が作ってくれるひっつみ汁を食べるのが何よりのごちそう。家族という安全基地があるからこそ、小学校という新しい世界にも大胆に飛び込んでいける。

みなと

神奈川県横浜市に暮らす3歳の男の子。現在はまだ保育園・幼稚園に通い始める前後の段階で、家庭を中心とした小さな世界のなかで日々を過ごしている。静かで観察好きな気質は3歳になっても変わらず、公園に行っても最初は走り出さず、地面のタイルの色の違いや、落ち葉の葉脈、砂の粒の大きさをしゃがみこんでじっと見つめるところから遊びが始まる。積み木やクレヨンも「触って・眺めて・匂いを確かめて」から使い始め、ひとつの素材と長い時間をかけて向き合う。言葉はゆっくり増えてきているが、まだ感覚のほうが先に立ち、気に入った手触りの布をずっと握っていたり、雨粒が窓を伝う様子をいつまでも眺めていたりする。騒がしい場所や急な変化にはやや身を縮めるが、ママがそばにいれば少しずつ新しいものに手を伸ばすことができる。ママは最も安心できる"安全基地"で、ママの膝の上から世界を観察し、大丈夫だと思えたら降りて確かめに行く——という探索パターンが日常の基本。パパとは休日を一緒に過ごすことが多く、パパの大きな手に自分の小さな手を重ねて木の幹を触ったり、パパが拾ってきた石や貝殻の表面を指先でなぞったりする時間が好き。パパの低い声で絵本を読んでもらうと、絵の色をじっと見つめながら安心して聴き入る。横浜の港や公園など、水辺や緑が身近にある環境で、光の加減や季節ごとの空気の匂いの変化を全身で感じ取りながら、自分のペースで世界を"知る"ことを日々積み重ねている。

ほのか

福島県郡山市で暮らす3歳の女の子。世界はまだ名前のつかない感覚の海であり、彼女はその中を両手いっぱいに広げて泳いでいる真っ最中。朝の光が畳にこぼれる模様に見入り、台所から漂う出汁の匂いに鼻をひくひくさせ、父が木工部屋で鉋をかける音に耳をそばだてる。父は無口だが、娘のために木の積み木や小さな動物の人形をこつこつ手作りしてくれる職人気質の人で、削りたての木の香りと温かみのある曲線は、彼女にとって「お父さんの手」そのもの。革の端切れで作ってもらった小さなポシェットを気に入って、石ころや葉っぱや毛糸のきれはしを詰め込んでは宝物のように持ち歩いている。母は几帳面で丁寧な人。季節ごとの郡山の郷土料理——いかにんじんの仕込み、凍み餅づくり、味噌の寒仕込み——を台所で進めながら、娘がそばに寄ってきて材料に手を伸ばすのを穏やかに見守る。人参の皮を一枚めくらせてもらったときの冷たさ、味噌樽を混ぜる木べらの重さ、ゆず湯の香り。そうした感触のひとつひとつが、土地の季節と文化の記憶として彼女の身体にじんわり染み込んでいっている。今年からプレ保育(未就園児クラス)に少しずつ通い始め、同じくらいの子どもたちと初めて出会う場面が増えた。砂場で水を混ぜたときの泥の感触に目を丸くしたり、園庭の落ち葉を透かして光を見たり、まだ言葉にならない驚きをたくさん抱えて帰ってくる。家庭では消費よりも手渡される温もりが大切にされていて、既製のおもちゃよりも父の手作りの木のもの、スーパーの惣菜よりも母が仕込む季節の味が日常の中心にある。

はるき

福島県郡山市の住宅街で暮らす3歳の男の子。父(36歳)と母(34歳)の三人家族のもと、毎日が発見と歓声に満ちた日々を過ごしている。新しい音が聞こえれば体ごと振り向き、鮮やかな色を見つければ指差しながら声を上げ、初めて触れる素材にはためらいなく両手を伸ばす――五感への反応がとりわけ大きく、全身で喜びを爆発させるタイプ。父がベランダで世話するミニトマトやバジルの葉を一緒にちぎり、匂いを嗅いでは「いいにおい!」と目を輝かせ、土を手のひらいっぱいに握っては感触を確かめている。地元の直売所に家族で出かけると、並んだ野菜の色とりどりの姿に夢中になり、なかなかその場を離れない。母が台所で食材を洗ったり切ったりする音にも敏感に反応し、踏み台に乗って覗き込んでは「やりたい!」とせがむ。公園では葉っぱのざらつきや花びらの柔らかさを何度も確かめるように触り、石ころや木の実を宝物のようにポケットに詰め込んで帰ってくる。人の表情をじっと見つめる癖があり、相手の気持ちを読み取ろうとするように視線を合わせてくる。初対面の大人や子どもにもにこっと笑顔を向ける人懐っこさがあり、公園や児童館で自然と他の子のそばに寄っていく。父と母という確かな安全基地があるからこそ、未知の場所や初めての人にも臆さず近づいていける。この春からプレ幼稚園(未就園児クラス)に通い始め、集団の中でも物怖じせず、新しい遊びや素材に手を伸ばしている。

しずく

福島県郡山市に暮らす3歳の女の子。穏やかで観察好きな気質を持ち、庭先や公園でダンゴムシや落ち葉、水たまりの波紋などを見つけるとしゃがみ込んでじっと見入る。急ぐことなく、指で触れ、顔を近づけて匂いを嗅ぎ、ひとつひとつ確かめるようにして世界を広げている最中。言葉はまだ二語文〜三語文が中心だが、「みて、これ」「なんで?」と自分が気になったものを指差しながら大人に伝えようとする姿が日に日に増えている。信頼できる人がそばにいれば、初めて見る虫にも怖がらず手を伸ばせる安心感が土台にあり、逆にひとりだと慎重になって遠くから眺める面もある。自分のペースを崩さない芯の強さがあり、まわりが走り出しても興味のあるものがあればその場にとどまって観察を続ける。6歳の兄・はるきは幼稚園の年長で、兄が虫かごを持って走り回る姿に触発されて後をついていくことも多いが、兄が捕まえたものをじっくり観察する役回りになりがち。自然観察好きの父(35歳)は休日になると郡山近郊の里山や田んぼ道に家族を連れ出し、しゃがみ込む娘の隣で一緒に地面を覗き込んでくれる存在。絵本作家志望の母(34歳)は、娘が拾ってきた葉っぱや石をスケッチブックに並べて一緒にお絵かきしたり、季節の絵本を読み聞かせたりしながら、感じること・見ることの喜びをそっと支えている。家庭では「観る時間」が自然に尊重されており、食卓の窓から見える鳥の動きに親子で目を止めるような日常がある。

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